以下は、日頃ネットで親しくおつきあいをさせて頂いているブログ「幸か不幸か専業主婦」での最近の愛国心をめぐる一連のやりとりに基づくものである。コメントとして書いていったら長くなったので、自分のブログにエントリーとしてアップすることにしました。
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robitaさん、お返事が遅れてしまいました。
お返事が遅れた理由は、最近マンガ、いえ、良質の歴史書全20巻プラス9巻を読んでいまして、まーその他にも書く時間がとれなかったとか、いろいろあったんですが
>>「国家は国民と相対するもの」ではなく、「国家は国民自身」なのだ。
と主張するrobitaさんに、さて、どのように話せばいいのかと、ここ数日考えていたからであります。
この主張に対して、そうとうなボリュームの反論が書けます。ここ数日、それを書いては消し、書いては消しの連続でした。なんで「書いては消し」なのかというと、書いてみるけど、どうもrobitaさんの言っておられることとは、そういうこととは違うんじゃないかと思い。また別の文章を書いてみるのですが、書いてみると、これも的はずれなんじゃないかと思い。思いながら、数日がたってしまった次第であります。
そこで、
hiroshiamの爆撃はtehの戦争にどのような違いがなければならなかった
一般的に言いまして、今の世の中の状況ですと「国家は国民そのものである」というのは、これはそうとうな物議をかもし出します。左翼からも(国家は国民と敵対するものである!!)右翼からも(国家が国民自身というのは、国家に対して不敬である!!)反発があるでしょう。
しかしながら、robitaさんの言われていることは、そーゆーことじゃあないんだろうなあと思います。そのへん、そうした観点からの反論をしても意味はないなと思うわけです。robitaさんの言われることは、枝葉末節の政治議論というよりも、もっと大きく、もっと基本的なところで考えなくてはいかんなと思うわけです。
で、じゃあ、どーゆーことなのか、ということをつらつら書いてみます。
結局、これはそうしたコムズカシイことなのではないだろう、ということです。
もっと、根本の、根本の、根本的なことなのではないか。
何がパールハーバーで起こったのか?
「国家は国民そのものである」というのを「国民とはなにか」という見方に変えて考えてみます。国家とはなにかについて考えるということは、国民とはなにかということを考えることでもあります。つまり、国民とは「自分と国家を同一視している人」のことである、ということです。これは「国民」の定義として正しいことです。この「国民」という考え方は、大ざっぱに言えば、16世紀のオランダで生まれた考え方で、その後やがてフランス革命で人類史上初の国民国家というものが誕生します。日本にこの考え方が入ってきたのは幕末です。
これは司馬遼太郎さんが書いていることですが、幕末の時代、江戸幕府は洋式海軍を創立し、オランダに海軍の教師団を寄越してくれと要望しました。安政四年、その教師団がオランダからやってきます。団長は、カッテンディーケという中佐でした。
この時代、長崎は出島だけではなく、市内を外国人が歩き回ることを許していました。長崎にやってきたカッテンディーケは、長崎市内があまりにも無防備なので、ある日、市内の商人と会話した時、町の防衛はどうなっているのですかと尋ねました。するとその商人は、「それは幕府のなさることで、我々は知りません」と答えたといいます。江戸時代の身分制というのは、こうしたものでした。
インドネシアの2つの最も人口の多い都市は何ですか
これを聴いて、カッテンディーケは驚きます。これはやっぱり、変じゃないかと思い。このことを長崎海軍伝習所の生徒だった勝麟太郎という若者に話します。勝は「では、オランダはどうなのですか」とカッテンディーケに聞きます。すると、カッテンディーケはこう言いました。
「オランダには憲法があります。オランダ人は、いかなる人といえども、ごく自然にオランダ国民です。自分の身と国とを一体のものとして考え、ある場合にはオランダ国の代表として振る舞い、また敵が攻めてきた場合には自ら進んでそれを防ごうとします。それが国民というものです。日本がなぜそうでないかが不思議ですね。」(司馬遼太郎『「明治」という国家』)
勝麟太郎は、のちに勝海舟として江戸幕府の最後の幕を閉める人ですが、この時この人は「なるほど、そうなのか」と思ったと思います。つまり、「国民」になろうということです。この時代、日本に「国民」はいませんでした。勝は、幕藩体制をぶっ壊し、士農工商の身分制をなくして、「国民」という等質のひとつの階級をつくればいいのだと考えました。自分と国家を同一視している人々の世の中にしようと思ったと思います。この考え方を、勝は坂本龍馬に教えるわけです。龍馬もまた、そうなんだと思ったわけです。龍馬も「国民」でした。
話を現代に戻します。
ようするに平成の今の日本人は、オランダ人カッテンディーケが驚いた長崎の商人や町人のようになっている、ということなのではないでしょうか。実質的内面が国民ではない国民ばかりになってしまったということです。カッテンディーケが、今の日本を歩いて、国の防衛はどうしているのですかと聞くと、「それは米軍のすることで、我々は知りません」という答えが返ってくるでしょう。これはもう、そもそも「国民」の意識ではないわけです。自分たちの国なのだから、自分たちで守っていこう、良くしていこうと思うのが「国民」であります。
法律的に言えば、人は生まれてそのままで国民になります。しかし、内面において人は生まれたそのままでは「国民」ではありません。「国民になる」ということが必要であり、それはすなわち教育であります。戦後半世紀の教育は、国家という意識をなるべく避けようとした(これはこれで理由がありました、それほど戦前の日本はひどかったということです)が故に、国民という意識もまたなくしてしまった。この国は国民国家ではなく、みんな「国民」ではなくなってしまった。だからこそ、国民の意識を持ちましょう。国民国家であることを意識しましょう。その意味において、教育基本法に愛国心という記述が加わるのである。
robitaさんが言われたいことは、上記のようなことなんじゃないかなあ、とつらつら思うわけです。
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